私が勉強にハマったワケ

d-team
大学1年生の春。
私は「基礎演習」という授業で、人生を変える体験をすることになる。
仮説を立て、先人たちの知を手繰り寄せ、自分の力でそれを立証していく。
この“知的興奮”こそが、私が勉強にのめり込んだ原点だった。
その授業で出会ったのが、吉田松陰先生のこの言葉だった。
人間には能力の違いはあるが、誰にでもすぐれた才能があるはずである。
そこに全力を傾けて、長所を伸ばしていけば必ず立派な人間になることができる。
この言葉に私は胸を打たれた。
「自分にも才能がある」——それを信じ、学ぶことが人生そのものであると知った瞬間だった。
私にとって勉強とは、“誰かに使われるため”の道具ではない。
“自分の可能性を掘り起こす”旅なのだ。
社会で役に立つかどうかなんて関係なかった。
当時の私は、学問のロマンに全身を浸し、まるで生きるように勉強していた。
そのとき出会ったのが、本居宣長先生だ。
日本国に心を奪われ、大学の卒業論文は彼の国学の研究にすべてを注いだ。
そして、社会人になってから。
仕事先から勧められた資格勉強に取り組む中で、「社会で生きる知識を得ることの楽しさ」に目覚める。
“学ぶ”という行為が、知的な快楽であり、人生の意味そのものだという確信は、社会に出ても一切ブレなかった。
気がつけば私は、自然と資格試験を突破していた。
そして、気づいたのだ。
「資格試験には、必勝法がある」と。
私はそれを実証したくなった。
ならば挑戦するしかない。
——国家最難関、司法試験へ。
これは、私の“知”にかける本気の挑戦だ。
誰に何と言われようと、私はこの道を進む。
知ることの喜びを、証明するために。